より良い花火を撮るために

花火に裏表は?

私が花火を撮り始めた40年前、花火とは観るもので、写す人などほんの少数派でした。それが今では「花火写真家」というジャンルまで一応確立しているのですから、まさに隔世の感を深めます。面白いことに風景写真とは違って「花火を写すなら、自分が一番うまい・・・」と自負している人や、一家言をもった人が多いのも花火写真(家)の特徴と言えましょう。

「花火」は富士山の如く 360 度、何処から狙っても写真になる被写体であると考えております。花火に“表裏”があるのかと聞かれると、「ある」と答える花火屋さんも居りますが、私は「何処から見ようが、美しく見えて楽しめればそれで良い」と答えることにしています。例えば、「キャラクター花火」を前から見たので目も口も付いていた、裏側から見たので後ろ髪しか見えなかった・・・というのとは訳が違うのは、どなたでも理解されることでしょう。

もちろん、打ち上げ場所が何箇所もあって、真横から見たのでは重なってしまうような場合は、正面から見たり写したりした方が良いことは申すまでもありません。

花火と風景の融合を撮る

花火を写している方々と話してみると、「最新の花火しか写さない」とか、「二尺玉が上がらない花火大会には行かない」などなど、コダワリをもって写しておられる方が結構多いようです。

私は・・・と聞かれると、花火の大きさには拘らないタイプです。何故ならば、大きな花火も広角レンズを使えば小さく写るし、小さな花火も望遠レンズを用いれば大きく写せるので、写真で花火の大きさを云々するのは賢明とは言えないからです。それに同じ花火でも撮影距離によって、当然大きさが変わってきます。実際にはあり得ない光景ですが、四尺玉・三尺玉・二尺玉・尺玉・5号玉と並べて、同時に打ち上げて一枚の画面に納めない限り、花火の本当の大きさを比較することはできません。

現実の問題として、肉眼で見ても写真に撮っても、花火が本当に美しいと感じられるのは、三尺玉くらいまでではないか・・・と、私は感じております。ですから、私は大きさや目新しさは度外視して、『ふるさとの花火』というテーマで“花火と風景の融合”を大切に写すように心掛けることに徹しております。即ち、花火を自然風景の一部と捉えて、その場の情景に相応しい花火を撮ることに主眼を置いて写していると言ってよいでしょう。花火とは、大自然と対峙するときと同じように、謙虚な気持ちで率直に写したいものです。

花火撮影は一瞬のチャンス

高価な撮影機材を使えば・・・、6万円のカメラよりも30万円のカメラの方が、5倍も良く写ると信じている人も意外と多いようですが、残念ながら そうは問屋が卸しません。花火に限らず写真とは“心の眼”で撮るものであって、撮影技術を磨くよりも社会経験を積み重ねて心を磨いた方が、何倍もモノの見方・捉え方が身に付いて良い作品が撮れるようになることだけは確かでだと言えましょう。

「花火」とは・・・、花火師が作った最高に美しい状態で打ち上がってくるのですから、誰が写そうと理論的には美しく撮れて当然の被写体なのです。ある意味では、写すだけなら、まことに撮りやすい被写体とも言えましょう。要するに直ぐに写せる完成された状態で“お膳立て”が揃っているからです。現代の優れたカメラをもってすれば、写らなかったら・・・それこそ不思議な話と言わねばなりません。

これが風景写真だったら、撮影場所・撮影角度・時間帯・季節…と自由自在にこちらの都合を選べる反面、いつ、どの角度から写したら一番美しく見えるかを自ら発見し、判断して写さねばならないところに難しさが付きまといます。

“花火の写真は難しい”とよく言われますが、花火撮影は一瞬のチャンスが勝負の世界です。それなのにお祭り気分で居るのか、花火の動きに注意を払わず煙草を吹かしながら写していたり、仲間とおしゃべりしながら写したり、打ち上げが始ってからレンズ交換やフイルムの詰め換えでバタバタしている人を良く見掛けます。これでは折角のチャンスを逃してしまうのは当然で、まともな作品を写すなど望むべくもありません。明るいうちから場所と撮影の狙いを決めて用意万端整えておかねば、同じ花火でも風や煙など多くのファクターに影響されて、二度と同じシーンを写せないのが花火の世界なのです。

写った花火ではなく、写す花火を

花火撮影に自信が付いてくると、全国花火競技大会と名が付く有名花火大会へ出掛けて行く人が多いのは自然な成り行きです。それらの花火大会では、2万発・3万発規模という打ち上げ本数に、最新の花火まで写せるのですから一見の価値は充分にあります。花火の種類も多彩で、広い範囲から好みの角度を選んで写せるのも大規模花火大会の長所と言えましょう。多少の失敗に気づいても、納得がゆくまで撮り直したり撮り続けられるだけの時間的余裕も十分にあるのですから、花火ファンには堪えられない醍醐味と申せましょう。

では、何処の全国花火競技大会が一番良いか・・・とは、よく質問されることですが、私の場合、近年は大規模花火大会へ行く機会が次第に減ってきました。それは、現在の大きな花火大会は企業化され、ショー化されたように感じられて、昔のような「花火大会」という風趣が薄れてきたからに他なりません。

誰が撮っても最大公約数的に作品と成り得る大きな花火大会で“下手な鉄砲も百発撃てば当たる”式に写すより、地方の名もない小さな村祭りの花火大会で、花火と一体となって同化しながら魂の鼓舞するような『ふるさとの花火』を目指している方が、写し甲斐も腕の見せどころもあろうというものです。ですから、どこの花火大会へ行っても、その場の情景や雰囲気を大切にして、花火大会としての“見せ場”よりも、自分の心に感じたまま、心の赴くままを率直に写すことを旨として写すようになってきたのです。

このような無名の小さな花火大会で良い作品が撮れるようになってこそ本物の腕前で、お膳立てが整った大規模な花火大会で綺麗に写せても、それは「写した写真」ではなく、“写った写真”とでも云うべきものでしょう。

本当に花火を愛し、花火を写そうと思うのなら、先ず貴方の街の花火を撮ってみてください。そこには自分の心の奥深くに潜む故郷の情景が二重写しとなって浮かんでくるでしょうか、郷愁の念が感じられるでしょうか・・・漆黒の空に花火だけの写真ならば、撮らずに眺めていた方がよっぽど綺麗で印象的だと思う昨今です。